復帰初戦の後に膝が悪化して手術を決めた話
復帰戦の手応えがあった一方で、膝の状態は悪化し、最終的に手術を決断することになった

不安と期待が入り混じる、復帰初戦の前夜

どうも、えすひろです。

何度か練習を重ねていくうちに、少しずつシュートの感覚や体の使い方が戻ってきました。20年以上続けていたバスケットボールですから、多少ブランクがあっても、感覚を取り戻すのは比較的早かったのではないかと思います。

最初は「本当にまた動けるのだろうか」という不安のほうが大きかったのですが、練習を重ねるごとに、その不安は少しずつ薄れていきました。もちろん、以前とまったく同じというわけではありません。体力も落ちていますし、細かい動きや反応の速さも全盛期のようにはいきません。それでも、ボールを触って、走って、味方と合わせていくうちに、少しずつ「またバスケができる」という感覚が戻ってきていました。

対人プレーにもある程度慣れてきて、徐々に激しい動きもするようになってきました。最初のうちは接触や切り返しを無意識に避けていた部分もありましたが、慣れてくるとそうも言っていられません。試合に出ることを考えるなら、ある程度の強度で動けなければ意味がないからです。そうして私は、復帰に向けて少しずつギアを上げていきました。

激しい動きが増えるほど、キャッチングも増えていった

ただ、ここで無視できない問題がありました。右膝のキャッチングです。

激しい動きをするということは、横の動きや、少しひねりを加えた動作がどうしても増えてしまいます。バスケットボールでは、前後左右への細かな移動だけでなく、相手に反応して急に止まったり、体の向きを変えたり、重心を落として踏ん張ったりする場面が何度もあります。そうした動きは、私の膝にとって決して軽い負担ではありませんでした。

そもそも私は、私生活を過ごしているだけでもキャッチングが起こっている状態でした。しゃがんだときや、膝に少し変な角度で力が入ったときに、半月板と思われる部分が挟まるような感覚が出ることがありました。ですから、激しく動けば同じことが起こるのも、ある意味では自然だったのかもしれません。

実際、バスケットの練習中にも、ときどき同じような違和感が出ることがありました。思いきり深くしゃがみ込んでいるわけではないので、毎回起こるというほどではありません。それでも、一度キャッチングが起こると、そのあとのプレーには明らかにブレーキがかかります。膝そのものが怖くなるので、切り返しや踏み込みに無意識の遠慮が出てしまうのです。

その感覚は、かなりストレスでした。せっかく感覚が戻ってきて、また試合に出られるかもしれないところまで来ているのに、膝がそれを邪魔してくる。そんなもどかしさを感じながら、それでも私は復帰に向けて練習を続けていました。

小さな大会でも、私にとっては大きな復帰戦だった

そうして練習を重ね、体を徐々に運動に慣れさせていった先に、ついに試合の日が来ました。

大会としては小さな市民大会です。ただ、私にとってはとても大きな意味を持つ復帰戦でした。前十字靭帯や半月板の問題を抱えながら、長いブランクを経て、再びコートに立つ。その日が本当に来たのだと思うと、期待と不安が入り混じる、何とも言えない気持ちでした。

試合が始まってみると、思っていた以上に体は動きました。長く一緒にやっていた友達の、少し取りにくいパスにも反応できましたし、プレーの流れにもある程度ついていけました。シュートも決まり、点数もしっかり取ることができました。何点入れたかまでは正直よく覚えていませんが、「ちゃんと試合でプレーできた」という感覚ははっきり残っています。

復帰を真面目に決めたのが2024年12月の終わり頃で、実際の試合が2025年3月末でした。大体3か月で、ここまでバスケットボールができるところまで戻せたことになります。もちろん、体力や技術、身体能力が以前より落ちているのは仕方のないことです。ただ、それはこれから少しずつ取り戻していけばいい。少なくともこの時点では、私はそう考えていました。

2試合目で無理をしたことが、流れを変えた

3月末の復帰戦は、全体としてかなり良い感触でした。このまま続けていけば、何とかまたやっていけそうだな。そんな手応えもありました。

ところが、その矢先に翌週も試合があり、私はそこにも参加しました。ここが一つの大きな分かれ目だったと思います。

その試合の相手はとても強く、こちらが流しながら相手をできるような相手ではありませんでした。当たりは激しいですし、スピードもある。少し気を抜けば一気にやられてしまうような試合でした。そうなると、こちらも自然と力が入ります。無意識のうちにプレー強度が上がり、体にも大きな負荷がかかっていきました。

急な切り返し、全力疾走からの急停止、ポストプレーで踏ん張る動き。どれもバスケットボールでは普通のプレーですが、膝への負担という意味ではかなり大きいものです。私はその試合の中で、そうした動きをかなりの強度で繰り返していました。

試合自体は、何とか勝つことができました。内容としても戦えていたと思います。ただ、終わったあとに残った感覚は、達成感よりも「膝へのダメージが大きい」という実感のほうでした。この時点で、体はかなりはっきりとサインを出していたのだと思います。

その日を境に、膝の状態は明らかに悪化した

そして、その試合を境に右膝のキャッチングは一気にひどくなりました。

それまでも違和感はありましたし、キャッチング自体も起こっていました。ただ、このときからは明らかにレベルが違いました。もはや歩いているだけでも、膝に少し変な衝撃が加わるとキャッチングが起こるようになってしまったのです。

さらに翌週のバスケットの練習では、ワンプレーごとに強引に膝を治さなければならないような状態になっていました。一つプレーをして、引っかかる。何とか戻して、また動く。また引っかかる。その繰り返しです。さすがにこれはおかしいと思いましたし、何より普通にプレーを続けられる状態ではありませんでした。

このままでは、もうバスケットボールは続けられない。そう感じました。

ただ、実際には「バスケができない」という問題だけではありませんでした。私生活にもすでに大きな影響が出始めていたのです。歩くだけでも不安がある。少しした動きで引っかかる。そんな状態を放置してよいはずがないと、自然に思うようになっていました。

私生活への影響を考えて、手術を決めた

そこまで状態が悪くなると、考えることはやはり治療です。

私生活にも大きな影響が出てしまう以上、何かしらの処置は必要だと考えました。そして、おそらく手術になるだろうということも、この時点である程度わかっていました。であれば、中途半端に様子を見るより、きちんと治療に向き合ったほうがよい。そう考えて、私は手術を受ける決心をしました。

決めてからの動きは早かったです。

以前に手術をした関東労災へ行くことも考えました。ただ、今回はそれよりも近くて、できるだけ早く手術につなげられるところはないかと思い、クリニックも含めて何件か電話をしました。

そこでたどり着いたのが、「八王子スポーツ整形外科」でした。

ホームページを見た限りでは、半月板の手術は日帰りでも対応しているとのことでした。そんなことが本当に可能なのかと、そのときは少し驚いたのを覚えています。ただ、まずは診てもらわなければ何も始まりません。私は早速予約を取り、受診することにしました。

また手術になるかもしれない現実を前にして

前十字靭帯の手術を経験している私にとって、「また手術かもしれない」という現実は、決して軽いものではありませんでした。手術そのものへの不安もありますし、その後の生活や仕事への影響も考えなければなりません。

それでも、この時はもう迷っている段階ではありませんでした。バスケットボールを続けたいという気持ちももちろんありましたが、それ以上に、日常生活をきちんと送れる状態に戻したいという思いが強くなっていました。

復帰して、またコートに立てたこと自体はうれしかったです。実際、試合でもある程度やれる感触はありました。だからこそ、その直後に膝の状態が一気に悪化してしまったことは、かなりショックでもありました。

ただ、ここで無理を続けても良い方向には進まない。そのことだけは、はっきりしていました。だから私は、もう一度きちんと治すために動くことを決めました。

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