久しぶりにバスケの練習に参加して感じた、楽しさと現実的な課題
復帰に向けて、5対5の試合形式で行ったバスケットボールの練習風景

バスケの練習に参加してきた。久しぶりに「楽しい」が勝った日

どうも、えすひろです。

最近、少しずつですがメッセージをもらう機会が増えてきました。
同じように膝まわりの不安を抱えながらスポーツを続けている人、家族や身近な人がケガをして「どう支えたらいいのか」を探している人。
立場は違っても、共通しているのは「怖いけど、やめたくない」という気持ちなんだと思います。

返信が遅くなりがちなのは本当に申し訳ないのですが、読んでくれていること自体が励みになっています。
今日は、そんな流れの中で行ってきた“いつもの練習”の話です。


練習前は、楽しみと不安がいつもセットで来る

体育館に向かう時点で、気持ちはだいたい半々です。
「やっとバスケができる」という期待と、「無理しない方がいいんじゃないか」という自分へのブレーキ。
どっちも本音です。

それでも行くのは、行ってみないと分からないから。
家で悩んでいるだけだと、いつまでも“想像の怖さ”が育ってしまう気がするんですよね。

だからこの日は、決めていました。
勝負しに行く日じゃない。まずは、勘を取り戻す日。
これだけ。


コートに立った瞬間、身体が思い出すものがある

アップをしながら、少しずつ視界が変わっていきます。
ボールの音、シューズのきしむ音、誰かの声。
それらが重なると、「あ、ここが自分の場所だったな」と思う瞬間が来る。

ただ、身体は正直です。
頭では「大丈夫」と思っても、動き出しの一歩目に慎重さが混ざる。
急に止まる動き、方向を変える動きは、急な力は加えない。がに出ます。

でも不思議なもので、少し時間が経つと、怖さの種類が変わってきました。
「壊れそうで怖い」から、
「感覚が戻ってないから怖い」へ。

これ、個人的には大きい差です。
前者は心が止まるけど、後者は練習で埋められるから。


思った以上にきつかった。走れるのに、持たない

急に決まった練習後、体育館の壁にもたれて休憩するバスケットボール練習後の様子
急に決まった練習を終えたあと。体力の落ちをはっきり感じつつも、久しぶりにコートに立てた満足感はあった。

この日の一番の発見はこれでした。
走れる。動ける。なのに、持たない

練習の前は「日頃それなりに走ってるし、いけるでしょ」と思っていました。
でも、実戦形式の動きは別物でした。

数分で呼吸が荒くなって、気づいたら肩で息をしている。
足が止まるというより、肺が先に根を上げる感じ。
しかも、その状態で判断もしなきゃいけないから、余計に消耗する。

「ランニングしてる=試合でも動ける」じゃない。
分かってはいたけど、体で理解するとちょっと悔しいですね。

ただ、ここで変に落ち込むより、方向性が見えたのは良かったです。
自分に足りないのは“根性”じゃなくて、実戦の呼吸とテンポなんだと思いました。


それでも、楽しいが勝った。ここが今のスタートライン

きつい。情けない。思ったように動けない。
要素だけ並べると散々なんですが、帰り道は変に明るかったです。

理由は単純で、楽しかったから。

久しぶりに「うまくいった/いかなかった」じゃなくて、
「バスケやってるな」って感覚が戻ってきた。
これが一番大きかったです。

バスケットボールの練習後、疲れた体で車を運転して帰宅する男性
練習後、私服に着替えて静かに車で帰宅する時間。疲労はあるけれど、バスケができた実感が残っている。

まだ無理はしないし、急な動きに慎重さも残ってる。
でも、それは今の自分の現実で、そこから積み上げればいい。

そして、こういう日はだいたい次の日に来ます。
筋肉痛と、疲労と、「昨日ちょっと張り切ったな…」という反省。
それでも、「また行こう」と思えるなら、今日は勝ちだと思っています。


次に向けてやることは、派手じゃない

大きく変えるつもりはありません。
派手な目標を立てると、達成できない日に気持ちが落ちるので。

  • 練習では“やりすぎない”を守る
  • 終わった後に「余裕が残ってる」状態で帰る
  • 少しずつ実戦のテンポに身体を慣らす

このくらいで十分です。
焦って強く踏んだら、その一瞬で全部ひっくり返るのは過去に学びました。

また次の練習で、どこまで動けたか、どこが怖かったか。
その“生っぽい部分”を残していきます。

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