
よくわからないページになってしまいました(たぶん、不安の置き場がなかった)
えすひろです。
今回は、読み返しても「何が言いたいんだろう」と自分で思うような内容になりました。先に言っておくと、これは文章力の問題というより、不安が先に立って、気持ちの整理が追いついていなかっただけだと思います。
なので、このページは「情報」より「気持ち」の記録です。もし同じように、ケガ明けの違和感や腫れでモヤモヤしている人がいたら、「そういう日もあるよね」と思ってもらえれば十分です。
練習後、膝が腫れている。それだけで頭がざわつく
練習から数日経っているのに、膝が腫れている。
痛みは激痛ではない。でも、「腫れている」という事実だけで、気持ちは一気に不安側へ引っ張られます。
たぶんここがポイントで、ケガ前なら「ちょっと疲れてるな」で終わっていた話が、手術や再受傷の経験があると、いきなり重い意味を帯びてしまうんですよね。
腫れ=終わり、ではない。頭ではわかっているのに、体が反応する。こういう感覚は、スポーツ復帰の途中では普通に起きます。
「膝の中に何かいる感じ」が、いちばん心を削る
今回いちばんイヤだったのは、痛みの強さよりも、
「膝の中に何かがいるような感覚」
でした。
水が溜まっているのか、血が溜まっているのか、炎症なのか。正確なことはわからない。わからないから、想像が勝手に悪い方向へ走っていく。
この「原因が確定できない違和感」って、メンタルにきます。人は痛みそのものより、意味づけできない不確かさに弱いんだと思います。
不安なとき、人はストーリーを作って安心しようとする
自分でも笑ってしまうのですが、不安なときって、頭の中で勝手にストーリーを作ります。
たとえば、
- 手術で組織が傷つく
- 時間が経って、いろいろ癒着する(かもしれない)
- そこに負荷がかかって、剥がれて炎症が出る(かもしれない)
- だから腫れる(かもしれない)
みたいなやつです。
医療的に正しいかどうかはさておき、ここで大事なのは、「自分の中で納得できる説明を用意しないと不安が止まらない」という状態だったこと。
不安って、理由がないと増幅するんですよね。だから、無理やりでも理由を作って落ち着こうとする。これは逃げというより、当時の自分にとっての「心の応急処置」だった気がします。
崖っぷちだからこそ、挑戦をやめたくなかった
正直に言うと、怖いです。
もう一度大きくやってしまったら、本気でバスケットを続けるのは難しくなるかもしれない。そういう経験をしているからこそ、腫れや違和感は、普通の人以上に重く感じます。
でも同時に、強く思っていました。
「怖いからやめる」は、あとでいちばん後悔するやつだ。
中途半端に距離を取って、納得できない形で終わるのはイヤでした。だから、ビビりながらでもいいから、やれることをやる。やるなら、ちゃんとやる。
このページの文章が散らかっているのは、たぶん「怖い」と「やりたい」が同時に暴れていたからです。
不安を消すんじゃなくて、扱えるサイズにする
今の自分にできる現実的な落としどころは、たぶんこれです。
不安をゼロにすることはできない。
でも、不安を「扱えるサイズ」にすることはできる。
具体的には、こんなふうに切り分けます。
- 本当に悪化している痛みなのか(鋭い痛み・引っかかり・ロッキングなど)
- 運動量に対する反応としての腫れなのか(休めば引く、熱感が弱いなど)
- 怖さが先に立っているだけなのか(過去の経験がフラッシュバックしている)
もちろん自己判断には限界があります。ただ、少なくとも「全部同じ不安」として丸めないだけで、気持ちは少し落ち着きます。
今日できることを淡々とやる。それがいちばん強い
こういう日は、気合いで前に進むより、淡々とやるほうが強いです。
- 腫れが気になるなら、無理に動かしすぎない
- ケア(冷却・圧迫・休息)を丁寧にやる
- 筋トレは「やった感」ではなく、継続できる強度にする
- 不安が強い日は、翌日・翌々日の状態を見て判断する
そして、もし一年後にこの記事を見返したときに、
「うわ、こんなことでビビってたのか。恥ずかしいな」
って笑えていたら、それがいちばんいい。
このページは、その未来に繋げるための、今の自分へのメモです。

