悪夢の日──右足前十字靭帯断裂と半月板損傷を負った試合の記録

バスケットボール中に「右足前十字靭帯断裂」と「半月板損傷」を負った日のことを、 当時の記憶を辿りながら残しておきます。
このページは、華やかな試合の裏で起きた「最初の違和感」から、「これはまずいかもしれない」と感じ始めるまでの記録です。

試合当日:大一番のコートで

その日は、バスケットボールの大きな大会の準決勝・決勝が行われる日でした。
1試合目は問題なくプレーでき、チームも勝利。相手もレベルが高く、緊張感のある良い試合で、このまま流れに乗れると思っていました。

私の武器は、身長180cm台後半ながらリバウンドに強く、ルーズボールにも飛び込めるプレースタイル。
190cm台が当たり前にいる中でも、ゴール下で戦えている自負がありました。

着地の瞬間、「あれ?」となった右膝

運命のプレーは、決勝戦・第3ピリオドの後半でした。
味方のシュートが外れ、いつものように強気でリバウンドに飛び込み、相手と接触しながらボールを追いかけ、着地したその瞬間──

「あれ?」

右膝に、力が入りませんでした。

よく言われる「ブチッ」という断裂音は、記憶にはありません。
ただ、足にうまく体重を乗せられず、普通には歩けない。「これはただ事じゃないな」という感覚だけがありました。

足を引きずるようにしてベンチへ戻るしかなく、コートに立ち続けることはできませんでした。

バスケットボール試合中に右膝を押さえて苦痛の表情をする日本人選手(前十字靭帯・半月板損傷)
試合中の着地で右膝を痛めた瞬間(ACL・半月板損傷)

コートを去る悔しさと、現実味のない違和感

ゴール下の要としてプレーしていた自覚があった分、 ベンチに下がるときの悔しさは言葉になりませんでした。
「なんであのリバウンドを無理して取りに行ったんだろう」と、すでに後悔も頭をよぎります。

その後、試合は逆転負け。
もちろん負けた理由は自分ひとりのせいではありません。でも、自分が抜けたことで流れが変わってしまったように感じてしまい、胸の中はモヤモヤだらけでした。

トレーナーの一言:「靭帯か半月板かもしれない」

ベンチに戻ったあと、トレーナーが右膝をチェックしてくれました。
膝の内側を押されると、鋭い痛みが走ります。

そして、表情を少し曇らせながら、こう言われました。

「靭帯、それか半月板、いっちゃってるかもしれません…」

正直、そのときの気持ちは、 「は? なにそれ?」 という感じでした。
多少強引なプレーはいつものことだし、「まさか大きなケガになるほどじゃないだろう」と、どこかで楽観していました。

夜になるにつれて悪化する右膝の状態

時間が経つにつれて、右膝はどんどん腫れていきました。
トレーナーからは「翌日ふつうに歩ければ大丈夫だと思います」と言われましたが、夜になる頃には、足をつくだけで激痛が走る状態に。

膝はまっすぐ伸びない。曲げることもできない。
まさに、あとから知ることになる「ロッキング現象」の状態でした。

ロッキング現象とは?
半月板損傷などにより、関節内に損傷した組織が挟まり、膝の曲げ伸ばしができなくなる症状のこと。
私の場合も、膝がパンパンに腫れ、どの角度にしても落ち着く位置が見つからない感覚でした。

立つこともつらく、ご飯やシャワーも、ほぼ片足ケンケンでこなすような状態。
「これはさすがに明日までには治らないよな…」と薄々感じつつも、 どこかで「打撲か捻挫だろう」「一週間くらいで戻れるだろう」と、自分に言い聞かせていました。

まだ“本当の重さ”を理解していなかった夜

それまでにも捻挫はいくらでも経験してきたので、「しばらく休めばそのうち治る」という感覚が染みついていました。
この時点では、これから始まる長いリハビリ生活や、手術、そして再手術にまで続いていくとは、正直まったく想像していませんでした。

ただひとつ覚えているのは、 「痛い。でも、まだ大丈夫だろう」と、自分の状態を軽く見ていたこと。
この日の判断と感覚のズレが、のちの選択や後悔にもつながっていきます。


次回予告:病院へ行く決断

翌日、さすがに「これはおかしい」と感じ、病院を受診することになります。
次の記事では、「右膝前十字靭帯、または半月板損傷の疑い」と告げられた日について書いていきます。

右膝前十字靭帯、または半月板損傷の疑い

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